忍者ブログ
カテゴリの部分をクリックし、「AM」のタグをクリックすればたちまちファンサイトに変身することでしょう。というわけでファン集合!笑
02≪ 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  ≫04
Admin | Write | Comment
P R
カテゴリー
アーカイブ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



部屋でふと昨年のノートを読み返していたら、2010年の最初に読んだ本が、松本清張の「或る『小倉日記』伝」(角川文庫)でした。短篇集なので各出版社によって収録内容は異なるでしょうが、自分にとってはこの角川文庫に収録された「父系の指」、「菊枕」、「笛壷」、「石の骨」、「断碑」のどれもが圧倒的です。短い紙数で、人間の一生とその情念をここまで語れるのかと、驚かされます。



イラストレーター、内藤ルネさんは自伝『すべてを失くして』の中で、人間の一生を描いた作品が好きとおっしゃって、文学マイベスト20の中に、清張の「菊枕」を挙げています。自伝を書いた時にルネさんは70歳を超えていたはずで、文学や映画、その他の芸術を吸収しまくってきた生涯のベスト20に、この30ページにも満たないような短篇が挙げられているということは、非常に印象的でした。

ルネの画集はいま入手しやすいのかどうか知りませんが、手近なところでは、美輪明宏さんの『おしゃれ大図鑑』で、その作品を見ることができます。僕は高畠華宵が好きなので華宵関連の雑誌や画集は結構たくさん集めてきましたが、ルネさんの絵を見たことはほとんどありませんでした。ただ、ルネの絵を見たことがない方や、絵柄があまり好きでないという方にとっても、この自伝は大変面白いものであると思います。ルネは1932年の生まれですが、やはりこの頃に生まれ、生き抜いてきた人の話すことや書くことの面白いことといったらありません。人生の経験値が格段に違うような気がします。学生の自分にとっては、実際の年の差以上に、自分の何倍も生きているといった感じがして、圧倒されるばかりです。

自伝にも「薔薇族」のことが書かれていますが、「薔薇族」編集長である伊藤文学さんの著作の中でも、たまにルネさんが描いた挿絵や表紙絵を見ることができます。そのイラストがまた、すごい。ぜひご覧になってください。
PR
図書館で席を見つけては本を読んでいる。平日の夕方から夜はわりと人が少ない。宮内勝典『黄金の象』(河出文庫)を読んだ。こんなに良い本を近頃読んだことがない。同時に提出された出生届と死亡届、そこに書かれる「長男―竜太」の文字、自分と同じ寝姿を連想させる紫いろの頬、箸で粉々に砕けてしまった最後の骨、スリランカの金色の象…この世から事務的に抹消されていく竜太への思いが、少ない言葉でどこまでも広がる。

中学の頃に愛読した三田誠広さんの著書(確か早稲田大学での講義録)の中で、三田さんが絶賛する三人の日本人作家のひとりとして宮内勝典さんの名前を見たのを憶えている。そこに挙げられていた『グリニッジの光りを離れて』を中学時代に挑戦したことがあったのだけれど、当時は最後まで読めなかった。あの頃からだいぶ時間が経ってしまったけれど、いまもう一度読みたい。
だらだらしていると厭になるだけなので、することがないと図書館で本を読むことが増えた。今日は中学、高校の頃とずっと読んでいた重松清の小説を久々に読んだ。「ブルーベリー」という連作短篇集で、地方から東京の大学に出てきた主人公の回想録だ。舞台はおそらく早稲田大学だし、主人公はいま作家になっているという設定だから、重松さん自身の学生時代と重なる部分も多いのだろう。最初の「東京に門前払いをくらった彼女のために」という短篇がとてもよかった。20ページ程度の少ない文章で、描かれない多くのことを連想させる。一度も使われることのなかった黄色のマグカップのイメージが焼きつく。
寺山修司の『不思議図書館』を読む。縦横無尽で面白い。一時期、奇術とかマジックにハマっていたから、フーディーニの逸話に始まる序章がよかった。「食べ方」とか「吸血鬼」とか、何でも読んでしまう寺山さんがすごい。併せて『書を捨てよ、町へ出よう』の冒頭部分を読んだら、「毛皮のマリー」の親子の物語も何となくわかるような気がしてきた。


アルバイト先の社員の方々の異動で、夜に歓送迎会。
アルバイトが始まるまで夜の図書館で読書をした。今日は19時頃から友人のライブがあったそうだけれど、見に行けないことが残念。中学からの知り合いだけれど、まさかバンドを組んでライブをやるようになるだなんて、あの頃は想像もできなかった。
図書館で読んだのは青木淳悟『いい子は家で』という小説。大学院の先輩に読んでみるとよいと薦められた作家だ。なんだか知らないが引き込まれた。母親の「家事動線」のところとか、とても面白かった。
芥川賞作家を囲んで読書会、おもろうござんした。
江戸川乱歩の『黒蜥蜴」を読み終えました。緑川夫人怖いww美輪さんはこんな役を演じていたわけですね…しかもあの「人間椅子」のアイデアがここでもひとひねりして使われていたとは。乱歩の視覚、触覚に訴えるような文体が凄まじい。
去年夏の黒蜥蜴の公演は見逃してしまった…三島由紀夫がこの作品をどんなふうに戯曲化したのかが気になります。
シェイクスピアの「十二夜」を読んだ。双子の取り違えははるかローマのプラウトゥスの作品などにも見られるが、そこに異性装を絡ませて三角関係をつくるところなど、筋立てがとても面白い。三単一の法則に従い均整のとれたフランス古典劇に読み慣れると、それよりも一世紀も前に書かれたシェイクスピア劇の多様さに驚く。
黒澤明自身の言葉かはわからないが『悪魔のように細心に! 天使のように大胆に!』という言葉に惹かれた。黒澤さんはこの自著の中で、自分が恐るべきメモ魔であったことを語っている。映画のシナリオに行き詰まった時にも、学生時代の大学ノートをぺらぺらと見返すうちに発想が膨らんできたらしい。自分も高校の頃から段々と日記のような、メモのようなものを書くようになったが、たかだか一、二年前につけたメモの中にも、自分でも忘れていた出来事や心境、発想の種を見つけることがある。天才といわれる人々の自伝や伝記を読むと、だらけた夏休みの生活のうちにも、なにか鼓舞される思いがする。
寺山修司の「家出のすすめ」の中に「サザエさんの性生活」という章がある。サザエさんとマスオさんとの間に性を匂わせるものがほとんどないことを「家」という構造の中で語っているのが面白い。

それはそれとして…
携帯電話で「さざえ」と打つとこんな顔文字が出るだなんて(笑)

8(*^^*)8
モリエールの『ヴェルサイユ即興劇』に驚いた。「これから上演する芝居のリハーサル」を劇にしてしまうという発想そのものは以前からあったようだが、その芝居でモリエール演じる「モリエール」という名の劇作家が「モリエールを中傷する男」を演じ、さらにその「モリエール」がライバル劇団の役者の物真似をして見せるなど、読んでいるうちに虚構と現実が交錯してしまう。モリエール劇団の団員たちが皆そのままの名前で登場して芝居の芝居をするわけだから、演ずるほうだって混乱したんじゃないかと思う。上演を生で観た人たちはどんな感覚になったんだろうか。
中公新書の「ローマ喜劇」を読んだ。演ずるというのは不思議なものだ…

喜劇を書きたい。
どこの国の神話も笑ってしまうような無茶な展開があるけれど、エジプトの神々は殊に面白い。自分の手と交わって子どもを産むなんて発想はずば抜けている。
室生犀星の詩にたしか「昨日いらっしって下さい」というのがあったと思う。「おととい来やがれ」のようで面白い。ただそれだけ。
よくわからないけれど、ある言葉がなんだか頭を離れぬということがございます。僕はいま、「花きちがいの大工がいる。邪魔だ」という言葉が頭から離れません。

太宰治の「春の盗賊」にも「やって来たのは、ガスコン兵」という珍妙な言葉が頭から離れないというくだりがあります。頭にこびりつく語句とか、メロディというのは、いつもよくわからないものですよね。

それはともかく、「春の盗賊」の主人公と泥棒のやりとりは絶妙ですね。
太宰治生誕百年の影響か、いままで2、3、8、9巻しか並んでいなかったちくま文庫の「太宰治全集」が全巻そろって店頭に並ぶようになった。後期の作品群もいいが、自分には「正義と微笑」をはじめとする中期の作品がことに面白い。「正義と微笑」を読んでいると日記を書きたくなる。このまえ友人と「『正義と微笑』の文体は今でいうブログに近いのではないか」という話をしたのだが、太宰作品全般がブログの文体に近いということがあるサイトで指摘されていて驚いた。「正義と微笑」、時には他人をめちゃくちゃにけなすこの小説がなぜかさわやかで明るいのは、芹川進の批判精神にまっすぐな心とユーモアが込められているからなのだろう。ねじ曲がった心からではなく、物事をさわやかでスマートに批判する技術を学んでみたい。「黄村先生言行録」の括弧をつかった表現法も、演劇の傍白や漫才のツッコミのようでとても痛快だ。
この頃の作品は、とにかく笑える。「紀元二千七百年」を「にせんしちひゃく」と読むのか「にせんななひゃく」と読むのかで揉めている「十二月八日」の人物たちも愉快だし、「水仙」の「草田惣兵衛氏の夫人、草田静子。この人が突然、あたしは天才だ、と言って家出したというのだから、驚いた」というくだりなど、笑わずにはいられない。

今月10日には同文庫の「文豪怪談傑作選」で太宰治が特集されたが、「怪談」の読点でひきずりひきずりしていくような文体が太宰の他の作品の文体とかけ離れているのにびっくりした。まだまだ読んでいない作品もたくさんある。できればこの夏に全作品を読みたい。
清水義範さんの「ジャンケン入門」という短篇集に入っている「窮理オレンジ教の教え」という短篇が面白い。先日自分も宗教勧誘に遭って変な本を渡されたけれど、それにも似たようなことが書いてあった。ここまでパロディにしてしまうとは強い(笑)
江戸川乱歩の「孤島の鬼」こわいよ~妖しいなんてもんじゃない。
京極夏彦さんの「厭な小説」を読み始めた。




厭だ。
川又千秋さんの「幻詩狩り」を読んだ。フランスのシュルレアリスムを背景にした小説で、読むうちに詩の魔力、言葉の魔力に迷い込むような感覚がする。
川又さんとは一度お会いしたことがあるが、その時にはまだ川又さんの作品をほとんど読んだことがなかったので、もったいないことをしたと思う。またお会いしたい。
清水義範さんの「春高楼の」面白かったーああいうキャラの濃い素晴らしい人とふれあいたいし、描いてもみたい。
レポートを書いているうちにロマン・ロランに惹かれ始めた。活動の幅がすごい。

全然関係ないけど、阿久悠さんの「浪漫浪乱」はロマン・ロランという音の響きを意識してつくったのかなぁ(笑)
太宰治の「十二月八日」

二千七百年は「にせんななひゃくねん」と読むか「にせんしちひゃくねん」と読むか、おおまじめに議論する馬鹿話が面白い(笑)
映画をDead Poet Societyを観て以来、ああいう会をつくりたいなぁと思っているうちに、詩人の会ではないけれどいろいろと読書会の計画ができてまいりました。例年、長期休暇はふやけた生活を送りがちなので、今年こそは実のある活動をしてみたい。まあ、その前に試験と課題をちゃんとやらないとね(笑)
太宰治の黄村先生最高だなw
| HOME |   NEXT >>
Copyright ©  -- 坊ちゃんかぼちゃ --  All Rights Reserved
Designed by CriCri
忍者ブログ  /  [PR]