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モリエールの「学者気どりの女たち」(LES FEMMES SAVANTES)を読みました。「才女気どり」(LES PRECIEUSES RIDICULES)と同様、知識や教養をひけらかして気どった女たちを描いた喜劇です。
言葉遣いが正しくないというだけで下女を解雇しようとしたり、次いでは肉体的な愛と精神的な愛はどちらが優れているか、といった議論の中で肉体を「くず」とまで言い放ったりするとんでもなく過剰な女たちが登場します(笑)
当時のサロンには言語表現、礼儀作法に過剰なまでの洗練を求める「プレシオジテ」の風潮があったそうで、その風潮を揶揄するところに、モリエールの笑いだけでなく、深い問題意識があるようにも思います。
齋藤孝氏が著書『過剰な人』の中で、ドストエフスキーの作品における登場人物の「過剰」に作品の面白さがあると話していましたが、モリエールの喜劇も、その「過剰」に面白さと深さがあるのかもしれません。
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言葉遣いが正しくないというだけで下女を解雇しようとしたり、次いでは肉体的な愛と精神的な愛はどちらが優れているか、といった議論の中で肉体を「くず」とまで言い放ったりするとんでもなく過剰な女たちが登場します(笑)
当時のサロンには言語表現、礼儀作法に過剰なまでの洗練を求める「プレシオジテ」の風潮があったそうで、その風潮を揶揄するところに、モリエールの笑いだけでなく、深い問題意識があるようにも思います。
齋藤孝氏が著書『過剰な人』の中で、ドストエフスキーの作品における登場人物の「過剰」に作品の面白さがあると話していましたが、モリエールの喜劇も、その「過剰」に面白さと深さがあるのかもしれません。
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